トロッコ問題

トロッコ問題について考える| 最適解はあるのか?【究極の思考実験】

トロッコ問題

あなたはリスクを負ってまで人の命を救えますか?

と言わんばかりの意地の悪い思考実験『トロッコ問題』

この記事をご覧の方はご存じかと思います。

ふとトロッコの写真を見て思い出してしまったので、改めてこの『トロッコ問題』について考えてみようと思います。

 
チータツ
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トロッコ問題とは?

トロッコ問題、またはトロリー問題とは「多数の人を助けるために一人を犠牲にするのは許されるか」という倫理的なジレンマを取り扱った思考実験です。

イギリスの哲学者フィリッパ・フットが1967年に提起し、現在でもインターネットなどで度々話題になる問題です。

概要と条件

それでは改めてトロッコ問題の内容を見ていきましょう。

トロッコ問題
出典:いらすとや

線路を走っているトロッコが制御できなくなった。
このままでは線路上に居る5人の作業員がトロッコに轢かれて死んでしまう。
あなたの目の前には分岐器があり、レバーを引けばトロッコの進路が変わり5人は助かる。
しかし、その場合は別の進路に居る1人の作業員がトロッコに轢かれてしまう。
あなたはレバーを引きますか?

※本当は分岐器の前に居るのはAという人間で、あなたはこれを裁く観測者に過ぎないのですが、分かりやすく考えるため当事者ということにしました。

条件の確認

・あなたが取れる行動はレバーを引くことだけ
大声を出しても声は届かず、トロッコを脱線させるための石などもありません。

・トロッコに轢かれた場合は確実に死に至る
5人まとめて轢かれれば衝撃が分散して命は助かるということはありません。

・線路の上の作業員は親しい人や憎い人ではない
線路上の人はあくまで他人とします。

つまり、助かるのは1人か5人であって、全ての人を救う手立てはありません。

他にも「なんでそんなところに自分がいるんだ」とか、
「トロッコが近づいたら音で気づいて勝手に避けるだろ」とか色々ツッコミたいところはあるでしょうが、これはあくまで思考実験なので、野暮なことはいいっこなしです。

 
チータツ
野暮な男はモテない、これは常識。

法的責任は問われない

これはよく勘違いされがちですが、トロッコ問題は道徳的な見解を出すものであり、法的責任については考えないという設定になっています。

法律的にどうなのかという問題を考えだすと、あなたがただの一般人なのか作業員や責任者に当たる立場なのか、整備をしたのが誰なのかといった問題があふれてきます。

法的なことも考慮すると、この記事が3倍ぐらいの長さになるため、オリジナルの設定に従って法的責任は無いものとします。

抑えるべきポイント

では、ここまでの要点を抑えておきましょう。

・5人を助ければ1人の人間を殺したことになる
・何もしなければ多くの命が失われる

・5人はもともと死ぬ運命だった

※個人的には“運命”という言葉はあまり好きじゃないのですが、あなたが居なければ5人が死ぬことは確実だったので運命という言葉を使いました。

サイコパス診断ではない

注意点として、この思考実験はその人がどうやって倫理的ジレンマを解決するかを観測するものであり、サイコパスかどうかを診断するものではありません。

決められた条件の上での判断であれば、性格が良いとか悪いというものが分かるものではありませんので、この問題を利用して他者を批判することのないようにしてください。

【考察】何が正解なのか

それではトロッコ問題について十分に理解できたところで、実際の考察に移りましょう。
レバーを引く派、引かない派の意見を合わせて3種類の考えができると思います。

【功利主義】1より5の方が大きい

数字

ここまで読んでくださった方の頭にはあるフレーズが浮かんだと思います。

大義のためには少数の犠牲もやむを得ない
もしくは『コラテラルダメージというものに過ぎない』ですかね(笑)

「小さなリスクで大きなリターンを得る」、これはまさに功利主義の考えですね。
『功利主義』というと卑しく聞こえますが、このトロッコ問題に関しては
大きな利益=多数の命になるので「冷たい!」、「ひとでなし!」と責められるようなものではありません。

そして、『命の価値は平等か』というのは永遠の問題ですが、この問題に関しては線路上の人間は全員他人ですので、あなたにとっては一人当たりの命の価値は同じです。

そうして考えれば、5人の命は1人の命より重いわけですから、あなたが取るべき行動は”レバーを引いて5人を助ける”です
“5 > 1” という小学生でも分かる簡単な不等式です
何も難しいことはありませんね。

【義務論】レバーを引くのは人殺しと同じ

レバー

次に”レバーを引かない”という”選択をする理由を考えましょう。

「レバーを引いて5人を助ける」と言えば響きは良いですが、それは5人のために1人を殺したことに他なりません

「1人の人間を5人のために犠牲にするのは間違っている!」と考えるならレバーは引くべきではありませんね
これは「目的のために誰かを利用するべきではない」という義務論の考え方ですね

【利己主義】レバーを引けば非難は免れない

天秤

同じくレバーを引かない派の考えです。

“レバーを引く”という行為は“5人を助ける”という英雄の実績と、“1人を殺す”という悪党の前歴を背負うことになります。

多くの人から「英断だった」と称賛されるかもしれませんが、一部の人から特に被害者の身内からの非難は避けられません。

5人救って1人殺したから、差し引きして4人救った英雄だね!とはなりません。
これは5人のところを100人に変えても同じです。
世界を救ったヒーローだから私怨で1人ぐらい殺しても許される、なんてことはこの人間社会ではありえません。
英雄と悪人は同居できるのです。

何もせずにトロッコを見過ごせば、自分は英雄でも悪党でもない普通の人であり、次の日もいつもと同じ日常を過ごせます
他人の命を助けるためにリスクを背負うより自分の安寧を選ぶという考え方ですね。

【個人的見解】口先だけなら何とでも言える

ピノキオ

「ここまで長々と講釈垂れてるけど、お前はどうなんだよ!」と聞こえてくるようなので、私自身の見解を述べます。

私は功利主義の考え、つまりレバーを引くという考えを支持します。
この結論を出すのに一日頭を悩ませました。
空を眺めながらずっとうーんうーんと唸っていました(笑)

なぜ『考えを支持する』なんて回りくどい言い回しをするのかについてですが、これは有言実行の難しさを十分に理解しているからです

この結論はあくまで暖房の利いた部屋でぬくぬくしながら出した結論です。
実際にこの状況に陥ってレバーを引けるかどうか自信がありません。

おそらく保守に走って、見て見ぬフリをするのがオチなんじゃないかなと思っています。
「ブログで食っていく」なんて周りに周知している癖に、いつまでブログが続くか分からない自分ですから。

さて、あなたの考えはどうですか?
レバーを引きますか? それとも何もせず見逃がしますか?

正解はありません。
こうやって考えて議論するのが思考実験の面白い所ですからね。

派生問題と類似問題

ノーマルのトロッコ問題についてはお終いなのですが、有名な派生問題と似たような問題もあるので少しだけ紹介したいと思います。

トロッコ問題(太った男編)

今度は5人を助けるために”レバーを引くか” ではなく “太った人を線路に落とすか” です。

トロッコ問題の太った人

制御が効かなくなったトロッコが線路上を走っている。
線路の先には5人の作業員が居て、このままだと轢かれて死んでしまう。
あなたは線路上の橋の上に居り、目の前にいる太った人を落とせばトロッコを止めることができる。
しかし、その場合は落とされた太った人はトロッコに轢かれて死んでしまう。
あなたはどうする?

「いやそれで止まるぐらいなら5人も死なないだろ」というのはもちろんナシです。
また、行動が失敗することはありません。

この実験が面白いのは、普通のトロッコ実験で『レバーを引く』と答えた人のほとんどが『太った人を落とさない』と答えたことです

やはり人を殺すという結果は同じでも『レバーを引く』という行為と『人を突き落とす』という直接的な行為の間では罪悪感の差があるのでしょう。

ちなみに私もこれに関しては『突き落とさない』を選びます。
理由はまさに上記の通りです。

トロッコ問題(自動運転編)

自動運転

トロッコではなく自動運転の車が題材の思考実験です。

自動運転の車のブレーキが壊れ、停止できなくなってしまった。
そのまま直進すると5人の人間を轢き殺してしまう。
しかし、カーブで避けるとその先に居る1人の人間を轢き殺してしまう。
AIはどちらを選択するべきか。

車の自動運転技術が進化してくると、完全自動運転が可能になるかもしれません。
そうなった場合、緊急時の運転もAIが判断することになります。
AIのそういった判断するプログラムを組む際にトロッコ問題のような思考実験が取り扱われるようです。

サバイバルロッタリー(臓器くじ)

臓器移植手術

トロッコ問題と似たような思考実験をひとつご紹介したいと思います。

イギリスの哲学者ジョン・ハリスが提唱したもので、サバイバルロッタリー(臓器くじ)という思考実験です。

くじで健康な人の中からランダムに一人を選び、殺す。
その人の臓器を全て取り出し、臓器移植のドナーを必要としている不治の病の人々に配る。
くじに当たった一人は死んでしまうが、死ぬはずだった複数人が臓器移植で助かる。

『死ぬはずの人を救うために誰かを犠牲にするか』という点ではトロッコ問題と同じなのですが、私もこれには賛成できません。

やはりトロッコ問題の「レバーを引く」という行為では、人を殺すということを意識しにくいのかもしれませんね

岩国のトロッコ問題事件

岩国市の錦帯橋

ついでにもう一つ物申したいことがあります。

トロッコ問題を授業で取り扱って問題になった事件をご存じですか?

山口県岩国市立東小と東中で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した。

「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本社会(https://president.jp/articles/-/30327?page=1) より引用

トロッコ問題は確かにモヤモヤした終わり方をするもので、生徒が不安を感じるのも当然ですが、道徳の授業ってそういうものじゃないでしょうか?

正解が見つからないからこそ自分で考えて結論を出さないといけないのが道徳、倫理だと思うんですよ

授業でこの問題を取り扱った先生の判断は英断だったと思いますけどね。

「授業に不安を感じた」と言っている子供には間違いなく心に残った良い授業だったと思いますよ。

なんでもかんでも保護者の顔色をうかがわないといけない今の教育現場がどうかしてるんじゃないでしょうか?
まさに「保守のためにレバーを引けない教育現場」ですね。

【まとめ】人間は考える葦である

『思考する』という行為は人間に許された最も生産的で楽しい行為です。

久々に頭を使って私も少し賢くなったような気がしないでもないです。

他にもこういった思考実験は数多くありますよね。
『囚人のジレンマ』や『箱の中のカブトムシ』、『5億年ボタン』(思考実験?)など、いつか紹介したいなと思っています。

それでは、オチが思いつかないので最後はパスカルさんの名言で締めたいと思います。

『人間は考える葦である』

それではまた!